従業員30〜150名の会社で賃金表を持っているなら、今回の最低賃金改定でやるべきことは「一律で何円か上げる」ではありません。等級ごとの下限額を引き直し、昇給ピッチを保ったまま全体を持ち上げる作業です。順番を間違えると、来年また同じ作業をやり直すことになります。この記事は、10月から12月の発効日までに手を動かす経営者・人事担当者に向けて、5つの手順と記入例をまとめたものです。
まず前提を確認します。厚生労働省が取りまとめた令和8年度の地域別最低賃金は、全国加重平均で1,177円。改定前の1,121円から56円の引き上げです。最高は東京の1,280円、最低は宮崎の1,085円で、その差は195円あります。福岡は1,057円から1,114円へ57円上がり、発効予定日は令和8年10月4日です。
見落とされがちなのが発効日のばらつきです。全国一斉ではありません。10月1日から12月2日までの間に順次発効します。福岡10月4日、大分11月1日、佐賀11月15日、熊本12月1日、沖縄12月2日。九州内に複数拠点を持つ会社なら、同じ会社の中で適用開始が2か月近くずれます。給与計算の締め日と噛み合わないと、支給後に差額精算が発生します。
見直しが終わった賃金表は、3つの数字だけで説明できる
ゴールから逆算します。作業が終わった状態とは、社員に聞かれたときに次の3つの数字で答えられる状態です。逆に言えば、この3つが言えないうちは作業が終わっていません。
| 確認する数字 | 見る内容 | 目安 |
|---|---|---|
| 下限余裕額 | 各等級の下限時給 − 地域別最低賃金 | 最下位等級で50円以上 |
| 等級間の重なり | 下位等級の上限と上位等級の下限が重なる範囲 | 重なりは1〜2号まで |
| 昇給ピッチ | 1号あたりの上がり幅 | 同一等級内では一定 |
下限余裕額を50円としたのには理由があります。全国加重平均の引き上げ額は56円、直近の水準が続けば来年もこの規模で上がります。余裕額が20円しかない等級は、1年で最低賃金に追い越されます。追い越されるたびに緊急対応をしていると、賃金表は3年で原型をとどめなくなります。
手順は5つ、着手から反映まで実質3週間で回せる
| やること | 目安時間 | |
|---|---|---|
| 手順1 | 全社員の時給換算額を1枚に並べる | 半日 |
| 手順2 | 最低賃金との余裕額で3つに仕分ける | 1時間 |
| 手順3 | 等級ごとの下限額を引き直す | 1日 |
| 手順4 | ピッチを保ったまま全体を持ち上げる | 1日 |
| 手順5 | 給与計算と賃金規程に反映する | 半日 |
手順1:正社員も含めて、全員を時給に換算する
最低賃金はパート・アルバイトだけの話ではありません。月給制の正社員にも適用されます。比較するには、月給を時給に直す必要があります。
計算式は「月給 ÷ 1か月平均所定労働時間」です。ここで注意するのが、月給の全額を使わない点です。最低賃金との比較から除外される賃金があります。
- 通勤手当、家族手当、別居手当、子女教育手当
- 精皆勤手当
- 時間外・休日・深夜の割増賃金(固定残業代を含む)
- 賞与など、1か月を超える期間ごとに支払われる賃金
固定残業代を含めて計算してしまう間違いが、実務では最も多く起きます。月給18万円、所定労働時間160時間なら時給1,125円で福岡の1,114円を上回ります。しかしこの18万円に精皆勤手当5,000円が含まれていれば、比較に使えるのは17万5,000円。時給換算1,094円で、最低賃金を20円下回ります。
手順2:余裕額で3つの箱に分ける
全員の時給換算額が出たら、地域別最低賃金との差額で仕分けます。
- 赤:余裕額がマイナス 発効日までに必ず引き上げる。放置は最低賃金法違反
- 黄:余裕額が0〜50円 今回は違法ではないが、来年届かない。今回まとめて直す
- 緑:余裕額が50円超 今回は個別対応不要。ただし手順4で全体調整の対象になる
赤だけ直して終わりにする会社が多く見られます。それが翌年の緊急対応を生みます。黄まで含めて一度に処理するのが、結果的に工数を減らす方法です。
手順3:一人ひとりではなく、等級の下限額を動かす
ここが今回の作業の中心です。個人の給与を1件ずつ上げるのではなく、賃金表の等級ごとの下限額を引き直します。個別対応を続けると、賃金表と実際の支給額がずれていき、最終的に賃金表が形だけのものになります。
最下位等級の下限を「地域別最低賃金+50円以上」に置きます。福岡なら1,114円+50円で1,164円。切りのいい数字にするなら1,150円か1,170円です。1,150円を選ぶなら余裕額は36円となり、来年の引き上げで再び黄に落ちる前提で運用します。
あわせて読みたいそもそも賃金テーブルと号俸制をどう組み立てるかは、設計ステップから確認できます
手順4:ピッチを崩さずに、上の等級も動かす
最下位等級だけを上げると、上の等級との差が縮みます。縮んだ差は「昇格しても手取りがほとんど変わらない」という形で、半年後に本人から指摘されます。
そこで、下限を上げた分を上位等級にも配分します。全額を同じ幅で乗せる必要はありません。下から上へ、乗せる幅を段階的に小さくします。最下位等級+90円、次の等級+50円、その上+40円、さらに上+30円といった形です。原資の総額から逆算して配分を決めます。
あわせて読みたい職種ごとに昇給幅を変える設計は、給与ピッチの考え方が参考になります
手順5:発効日を給与計算の締め日に合わせて確定する
福岡の発効予定は令和8年10月4日です。月末締め翌月払いなら、10月分の給与から日割りで新単価が適用されます。10月1日〜3日は旧単価、4日以降は新単価という計算になります。
賃金規程に等級ごとの下限額を明記している場合は、規程本体の改定も必要です。就業規則の変更届と意見書の準備を、給与計算の作業と並行して進めます。
記入例:福岡の30名の会社が、G1の下限を1,150円に引き直した
4等級制、月平均所定労働時間160時間の会社を想定します。
| 等級 | 改定前の下限(時給換算) | 改定後 | 判断 |
|---|---|---|---|
| G1 一般 | 1,060円 | 1,150円 | 1,114円を下回る。最優先で+90円 |
| G2 中堅 | 1,180円 | 1,230円 | 余裕額66円は来年届かない。+50円 |
| G3 主任 | 1,320円 | 1,360円 | G2との差を保つため+40円 |
| G4 係長 | 1,480円 | 1,510円 | +30円で上限側の膨らみを抑える |
G1の1,150円は、月給換算で18万4,000円です。ここに通勤手当や固定残業代は含めません。改定後もG1とG2の差は80円、G2とG3の差は130円で、昇格したときの変化が金額として見える状態を保っています。
この4等級という数が適切かどうかは、別の判断です。等級の数が7つも8つもある会社では、そもそも一段あたりの差が小さく、今回のような一斉引き上げをするたびに等級が潰れていきます。
あわせて読みたい等級の数をいくつにするかで迷っているなら、役割等級の組み方から見直す手があります
つまずくのは、決まってこの3か所
私たちは福岡を拠点に、30〜150名規模の会社の賃金表を預かっています。毎年8月から10月にかけて、この仕分け作業の相談が集中します。同じところで止まる会社が多いため、3つに絞って挙げます。
1. 月給者を対象から外している
最低賃金の話をパートの時給だけの問題だと考えている会社が一定数あります。手順1で書いたとおり、月給制の社員も対象です。特に固定残業代込みで月給を設定している会社は、除外後の金額で必ず再計算してください。
2. パートの時給だけ上げて、正社員の初任給と逆転する
パート時給を1,150円に上げた結果、新卒初任給の時給換算1,120円を上回るケースです。募集要項の見栄えは整いますが、既存の若手社員から見れば説明のつかない状態になります。パートの単価を動かすときは、正社員側の下限とセットで確認します。
3. 全員一律で上げて、等級の差を自分で潰す
これが最も後を引きます。従業員45名のある会社は、3年続けて「全員一律60円アップ」で対応しました。作業は簡単です。しかし3年目に、G2の上位号俸とG3の下位号俸が完全に重なりました。昇格しても給与が1円も上がらない社員が出て、その年に主任層から2名が辞めています。一律配分は、下位等級を守るかわりに上位等級の意味を削る方法です。
反映前に確認する7項目
- 月給者を含む全員の時給換算額を出したか
- 換算から通勤手当・精皆勤手当・固定残業代を除外したか
- 最下位等級の下限が、地域別最低賃金+50円以上になっているか
- 等級間の重なりが1〜2号の範囲に収まっているか
- 同一等級内の昇給ピッチが一定に保たれているか
- 複数県に拠点がある場合、拠点ごとの発効日を確認したか
- 賃金規程に記載した金額と、実際の賃金表が一致しているか
引き上げに伴う設備投資などがある場合は、業務改善助成金の対象になることがあります。要件と申請期限は年度ごとに変わるため、着手前に最新の公募要領を確認してください。
今年の56円より、来年の56円をどう吸収するかで差がつく
全国加重平均は1,121円から1,177円へ動きました。この水準の引き上げが続くと仮定すれば、余裕額50円は1年しかもちません。つまり今回の作業は一度きりの対応ではなく、毎年繰り返す前提で設計するものです。一律配分が楽に見えるのは初年度だけで、3年目に必ず等級が潰れます。
ただし、上位等級にどこまで配分を乗せるかは、その会社の等級数と直近3年の昇給実績によって判断が分かれます。原資が限られている中で、下を守るか上を伸ばすかは一般論では決められません。自社の賃金表を1枚開いたときに、どの等級から手をつけるべきか迷うようであれば、その迷い自体が設計の見直し時期を示しています。
